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東北へ行く。

郡山へ所用で行くこととなったので、先々週の夕刻、車を走らせた。
同行者1名。
地の利は全くと言っていいほどないので、
一体、どのくらい所要時間がかかるのか見当もつかない。

ちなみに、ボランティアではありません。
あくまでもあるお方と会う約束を果たすためであった。

今まで東北地方には山形や、会津若松には行ったことがあったが、
全て電車であったので、距離感がつかめない。

その日に行けるのはせいぜい磐梯会津くらいまでだろうと思っていたが、
あっけないほど早い時間に通過してしまったので、
ある人物と会う約束をしていたのは次の日の夜であることもあり、
できるだけ北上してみようと考えた。

結句、仙台に23時には到着。
PAで車中泊し、次の日に石巻まで行くこととなった。
意外と近いのです。

初めて目の当たりにする石巻の市街地は壮絶であった。
デジカメで撮影する気にもならない光景だった。
当然だが、テレビとは感じ方が違う。

津波でやられたお寺の脇に
墓石がやられずに建っている。
カーナビに記されるガソリンスタンドや様々な施設など当然なく、
新たに建てられた真新しいコンビニがあるだけだ。
その横には、かたずけられない漁船が転がっている。

こんな光景がずっと北から南へと延々と続いている。

約束は夜だったので、南へと車を走らせる。
海は穏やか、だ。

南相馬で警戒区域、立ち入り禁止。警官が国境のごとくゲートを封鎖するかのようだ。
飯舘村から郡山へと入った。

用事を済ませ安堵していると、
富山から来たと知った何人かに声を掛けられた。

「放射能に対して、僕らは麻痺してしまってると思われていませんか?」

重い言葉である。
福島県に暮らしている人達の苦悩が凝縮されている気がした。

外部から来た我々のような人間の意見が聞きたいのだと、彼は言った。

ただひとつ確実に言えることは、
本来は被害者であるはずの「FUKUSHIMA」の人達が加害者にすり替えられ、
マイノリティになってしまうことが怖いのだ。
それだけは何としても避けなければならない。

所用も済ませ、あとは帰るだけなので、次の日いわき市へ行ってみた。
広野町で高速を下ろされる。それ以上は入れない。
直前のPAではマイクロバスの人達が白装束に着替えていた。

Jヴィレッジはベースキャンプのようだ。
いろんな車両が入り乱れている。
また、白装束だ。

小名浜へ向かう。
破壊されて枠組みだけの市場のすぐそばで、
おばちゃんが海鮮丼の店を仮設で営業させていた。
その顔から想像できるくらいイメージとぴったりな、だみ声、である。

なんと、クールでガッツのある店だ。
迷わず海鮮丼を奮発して食した。

うまくない訳がない。

おばちゃんの後でポスターの鳥羽の兄貴が笑っていた。

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疲れなど感じなかった2日間。
まだ、振り返るわけにはいかない現実が
そこにあった。
by yui-2910 | 2012-03-28 18:07 | 日々の話
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