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バックペインな日々。

大げさではなく、
妻に抱きかかえながら 隣町の整形外科に行った。
ドクターに病状を説明すると、別にどうってことないように
背中に痛み止めの注射をぶちこまれた。

全く、効かなかった。

椅子で眠らなければならない日々が始まった。
処方される鎮痛剤がボルタレンからロキソニンに変わった。
何日、経っても症状は改善しなかった。

ついにMRI検査をすることになった。
結果を見ながらドクターは言った。
「紹介状を書くので、すぐに金沢大学病院に行きなさい」と。

金沢大学病院の待合室で 知り合いのパンクロッカーに会った。
松葉杖をついていた。
そういえば、その数ヶ月前に、その人の 原発反対のうたを聞いたことを思い出していた。
この人は、何十年も変わらないのだ。
私より、いくつも上のその人は、十分に「少年メリケンサック」だ。
なんだか、安心した。

検査の日々が始まった。
何回もの血液検査。CT。骨スキャン。そして、やり直しのMRI。
ただ、ドクターも頭をかかえるばかりだった。
骨が異常をきたしてるのはわかった。

そのころ、手のひらに、ほんのちょっとだけ、発疹が出来ていた。
別に痒い訳でもないので 気にしなかった。
それくらい、小さなものだった。
が、
時間だけは十分にあるので、インターネットで調べだした。
発疹の症状の画像に、非常に近いものがあった。

「掌セキ膿ホウ症」

皮膚病のひとつで、掌や足の裏に無菌性の発疹が出来る病気。
慢性難治性で、原因は解明されていないが、ストレスや、金属アレルギー、虫歯、扁桃腺異常などが考えられる。その、患者の10%程度に、脊椎に強烈な関節炎を併発する。
と、あった。

これだ。と、確信した。

次の日、ドクターに言った。
「この、小さな発疹は関係ありますか?」と。
ドクターの答えは、私の自己診断と同じだった。

「掌セキ膿ホウ症性骨関節炎」

すぐに、わたしの居場所は整形外科から皮膚科へと移された。
数年後、奈美悦子さんがこの病気で苦しんだことをテレビで見た。

病名がわかって、なんとかなると思っていた。
すでに、2ヶ月以上、経過している。

しかし、皮膚科の主治医に ぶちきれることになるとは、
そのときは 想像してなかった。
by yui-2910 | 2009-02-14 23:42 | 日々の話

鈍痛

なんとなく、
パン屋になるまでの話の続きを。(笑)

その前に、「きっかけ」なるものは、突然 やってくるものです。

うだうだと たまにライヴなどをして 何気なく過ぎていく日常。
音楽で生業を立てていくことなど いろんな意味で 俺には「無理」だと
ある人物に出会い その すさまじいまでの
「本物さ」に度肝を抜かれてから 「偽者」である自分に対して
しかしながら、それさえ 受け入れることも出来ずに 
ただ、「働いて、食って、寝る」だけの窓、である。

ただ、「本物」はあっという間に あちら側に行ってしまった。
涙さえ出ないくらい、唐突に。

今でもその男は 誰がなんと言おうと
誰がその男を変人扱いしようと
私の中ではジョンレノンやボブマーリーと同じレヴェルの存在である。

私は、ただ毎日を過ごしている。
35年のローンで家も建てた。
妻と子供2人。
何も不満などなかったですし、楽しい家族を第一に考えてきた。
ささやかな日々の
ささやかな生活。  今でも一番大事なことやと考える。

しかしながら、ココロの中にある もやもやとした憂鬱は
どうしても 消し去ることなどできなかった。
誰でも それをかかえて生きているのだけれど・・・。

ある日、とんでもないことになった。
いや、ある日ではない。1月29日だった。
大雪が前日の夜から降り出した。
突然、やってきた。
なにやら、背中が痛む。
経験したことの無いような、鈍痛、だった。
お昼にラーメンを食べた。
すすると 胸やら背中やら、痛い。こんなことは初めてだ。
除雪で筋肉痛になったのとは 異質の痛みだ。

なんとか、仕事をやりとげ、家に帰った。
その日、ギターをかかえてライヴに行った。ブッキングしてあるんだから、
意地でもやらなきゃならない。  が、
痛くて我慢ができなくなった。
早々に、ビールさえ飲まずに退散。
なんとか 家にたどり着き、車を降りようとしたが、1人では降りられなかった。

次の日、
歩くどころか、横になることすら、出来なくなった。
ただ、これは、大変なことになった、と
なんとなく、感じていたのでした。 
by yui-2910 | 2009-02-12 22:56 | pann

たった、1個のパンから

パンはもともと 嫌いだった。
学校給食のパンが食べられなかった。
当時は月に数回しか ごはんがでなかったのである。
がっかりだった。
きなこのまぶしてある揚げパン以外は
嫌で嫌で どうしようもなかった。

その後も 好んでは食べたことは1度もなかった。

ある日、某店の、でかくて丸い 見たこともないようなパンを食べた。
パンに対する考え方が180度 変わってしまった。

バゲットもそこで買って、食べてみた。
おいしくて、いっきに全部、食べてしまった。

自分で 作ってみたい。

しかしながら、どうすればよいのかわからなくて、
とりあえず、家のオーブンでできるんかなあ?
などと、考えた。

その頃、まさか、家にあるオーブンレンジでパンが作れることも知らず、
本屋で主婦の友社から出ている パン作りの本を買ってきて
材料をC&Cで買ってきて、
作る体制を整えた。

あの丸いでかいパンは、「パン・ド・カンパーニュ」と書いてあった。
さっそく それからと思ったが
なんか難しそうだった。
だから、一番さいしょのページから、
すべて作ろうと決めた。
毎日、作ったとしても
「パン・ド・カンパーニュ」までたどり着くには
30日はかかりそうだった。
これは試練なのだと、
バターロールを作りながら思った。

最初に自分で作ったそのバターロールを見て、
「簡単だ、これは。」と思った。
それが、とんでもない思い違いだと気づくのに数ヶ月かかった。

正直、「俺が作ったんだよな、これは?」と 感動した。
ドライイーストの「スーパーカメリヤ」が
魔法の粉に思えた。

数ヵ月後、ようやく、フランスパンのページがやってきた。
おいしくできた。
しかし、なにか 違うような気がした。
考えてみると、
どんな生地になればいいのか?
どこまで、こねれば よいのか?
どこまで、発酵させれば よいのか?
どう焼きあがれば おいしいのか?
なぜ、1次発酵、2次発酵があるのか?
なぜ、ベンチタイムが必要なのか?
いろんな材料の配合は どうやって決めるのか?
など、
いろんなことを全くわからずに作っていることに気づいた。

もっと 知りたくなった。

次の日、仕事場の上司にやめることを告げた。
「パン職人になろうと思います。」
と、私は言った。

仕事を辞めてから
もう1度 行きたい場所があった。
アイルランドのド二ゴール。

帰って来てから、
当時、高岡の中川にあった、「パン工房ブレッド」の堀さんに単刀直入に聞いた。

「パン屋になりたい。どうすればよいですか?」と。

それが、すべての始まりだったのです。
by yui-2910 | 2009-02-01 22:38 | pann